前エントリで唐突に震災の話が出ていたので、被災してから今日までのあれこれについて述べておきたい。
震災が起きた際、自分は渋谷駅で井の頭線の電車に乗ろうとしていたところだった。あまりの揺れの大きさに何とか券売機に手をついて立っているのがやっとで、ホームに立っている駅名票までもが揺れている有様。井の頭線は当面動きそうもないのでJRの改札口まで戻ったところ、いつもは運行情報を表示しているディスプレイが地震のニュースを流しっ放しで、茨城県南部が震度6強!入院していた母と自宅の様子が気がかりで、直ぐ様帰宅することにした。
とは言いながら、JRはおろか私鉄も地下鉄も全面ストップ。取り敢えずは歩いて国会図書館まで行き、(携帯電話が殆ど繋がらなかったので)国会図書館の情報端末で取り敢えずは情報収集。その国会図書館が閉館した後は駿河台の明治大学を目指して歩き、リバティーホールで一夜を過ごした。日が変わって、JRが少しずつ動き始めたのを機に御茶ノ水まで歩いて地下鉄で南千住、JRに乗り換えて取手まで辿り着き、バスを乗り継いで自宅に帰れたのは夕方だった。
で、玄関を開けようとしたものの鍵も回らず、窓から中を覗き込んでみたら余りに酷い散乱ぶり。耐震固定の本棚ですら転倒していて、部屋中食器やら本やらその他諸々が散乱しまくったのである。取り敢えずは母の無事を確認し、(避難所だった)近くの小学校で数日過ごして(家がへーベルハウスだったので)旭化成の方に連絡。何とか玄関の鍵は開いたものの、足の踏み場すら無い状態で自室まで足を踏み入れるまで数日を要した。
で、震災の後始末で大顕わの中、夜中に病院から母危篤の連絡が入り、大急ぎで病院へ。昼間までは看護師と会話を交わしていたのが、容体が急変し20時9分に遂に臨終。翌日には叔父や叔母(つまりは母の妹や弟)、更には父方の親戚がやって来て通夜や葬儀の手はずを整え、結局(母の故郷でもある)横浜の叔母宅で密葬を行った。
と、震災と母の死去という(自分にとっては)大事が立て続けに起きたことで、自分としても長いこと病気療養中だったのを何とか手に職つけることをしないとと考え、それで職業訓練を受けることを決めた訳である。
お母様の事や震災で色々と大変だったのですね。私も一時体調崩して何もできないこともありました。優秀な能力を生かして活躍してほしいですね
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